米原万里さんのこと
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米原万里さんが亡くなられていたことを先日知った。
ロシア語の同時通訳者、エッセイスト、
テレビのブロードキャスターなどのコメンテーター・・・など、多才な方であった。

特に、「不実な美女か、貞淑な醜女か」や「魔女の1ダース」などのエッセイは
米原さんの真骨頂と言えるだろう。
通訳の世界の大変さ、面白さを
これだけ抱腹絶倒かつ深度を持って伝えられる人はいない。
惜しい人を亡くしたと同時に何冊かの「名著」を残してくれた・・・ご冥福をお祈りいたします。

米原さんとは、僕が独立した頃、
実は、いっしょに仕事をしている・・・いや、いっしょではない・・・。
米原さんの住まいの図面を書いたのは僕である。
設計したと書かないで図面を書いた・・・というのがミソ(笑)。

米原さんはとにかく建築家嫌いだった。
自宅をあるOMソーラーの加盟工務店に頼んだ。
その工務店から、僕に話が持ち込まれて、いろいろとあいだに入ってくれたのだが
建築家は要らない・・・自分で間取りを考えたい・・・
というわけで、結局、僕は実施設計をまとめることに終わった。
米原さんとは、一度も顔を合わせず、一度もお話ししたこともない・・・
仕事とは言えないような仕事である(笑)。

確か、OMソーラーの家だったはず・・・。
建築家もいろいろだ、ということを分かっていただきたかったのだが・・・。
もし、顔を合わせて家づくりをしていたなら、
彼女の著作の巾も広がったかも知れない・・・
僕も、もしかしたらロシア語くらい話せて・・・(ない!!)・・・
と思いつつ、新聞で訃報を読んでいた。
by satoshi_irei | 2006-07-07 17:45 | Trackback | Comments(6)
Commented by kazuo-nakazato at 2006-07-07 18:43
どうして建築家嫌いだったのでしょうね。
ユーモアがあり、博学だった人でしょうけど・・・、頑固だったのでしょうね。
Commented by satoshi_irei at 2006-07-07 19:14
頑固には違いありませんね・・・
嫌いな建築家像を書いて欲しかったですね(笑)。
Commented by gallerySORA at 2006-07-07 21:12
建築家が嫌いだったわけではなく、住宅の設計をもっと誰にでもできる
ものと思いたかったのではないでしょうか。昔からそうであった様に
特に専門家の力を借りなくてもできると信じていたのだと思います。
その方が自分の思いを具現化できると・・・。

今、こちらでもそんな方の設計をしています。
最終的に建築家や専門家の設計に近づくことになるとは思いますが、
そこに至るまでのプロセスが大切なような気がします。
建築家が無駄なく最短で設計するところを、試行錯誤して紆余曲折を
経て結論を導き出す。そんなプロセスを望んでいるように思います。
Commented by satoshi_irei at 2006-07-08 09:52
米原さんの場合は
建築家に対して、自分の好みを押しつける傲慢なイメージを
持たれていたのではと思います。
ですから、工務店に頼んだのです。

宮脇檀さんがむかし、別冊の庭画画報の対談の中で
「日本の文化人、教養人というのは、実に建築に対して建築に対して
教養がないなあとおもうものね」と愚痴っています(笑・・・宮脇さんらしい)。
それを受けて東孝光さんが
「つまり、その分だけ建築家は信用されてないんでしょう」・・・と(笑)。
戦争直後の見地かはかなり強引だったらしいですから・・・。

僕らはこのギャップを解消する努力をしていかないといけないと思います。
また、いい設計というのは簡単ではない・・・
ということも伝えていかなければならないと思います。
今回のOM設計セミナーのテーマのひとつでもあります(笑)

「建築家は無駄なく、
最短で設計するために存在する」と思われないようにしなければ・・・。
Commented by k_watarow at 2006-07-09 22:57
信用されること、なかなかむずかしい。魔法使いのようになんでも可能にしてくれる人と、思われて、困ることもありますよね。
お互い不幸にならないおつきあいをしたいものです。ややもすると、自分の首を絞めていますから.....。
Commented by boro9239 at 2006-07-09 23:07
すいません、まだ本借りたままです・・・


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